一之宮神社
一之宮神社
一之宮神社

一之宮神社由緒

歴史

子安の地は、神之木台遺跡、大口坂遺跡、その他があることから推察されるように、縄文時代の昔より人間にとって住みやすい環境が与えられた所でした。我々の祖先は、海や山から自然の恩恵を受けて生活していたことでしょう。特に、この場所は、現在でも海を臨むことの出来る小高い丘ですが、近代に入り、海岸線を埋め立てるまではもう少し高い山でした。東海道沿いに展開した子安の浜の漁師にとって、漁場を定める目印となっていたそうです。

当然、漁師の信仰を集め、また、東海道沿線ということもあり、古くから小祠を以ってお祭りをしていたようです。

その後、永禄四年(西暦1561年)9月1日 第106代 正親町天皇の御宇、武蔵国(埼玉県・東京都大部分・神奈川県東部)の一の宮、元官幣大社氷川神社(埼玉県大宮市鎮座)の分霊を現在地に勧請したところ「一之宮大明神 一之宮明神社」等と称されて居ります。

江戸時代、徳川幕府の官撰地誌の最初である「新編武蔵風土記稿」にも収録され、白髭老神などの伝説もあり、連綿と祭祀が今に続いて居ります。

【伝説の一例】

元禄三年(西暦1690年)7月、村内に疫病が蔓延した折、入江川畔に白衣長髭の翁が現れ、「吾は一之宮大明神だが、近来氏子村民が敬神の念乏しく、社殿は大破し、祭祀を怠っているために災禍が横行するのである。以降、祭祀の礼を厚くすれば疫病はなくなる」と告げた。そこで、神楽を奏し、神拝の式を行うと忽ち疫病がなくなったという。その他いくつもあります。

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